クライアントが作った工作機械はトンデモナイ出来でした。ダメではなくて、超スグレモノです。従来の機械に比べて効率は20倍。従って、今までと同じような部品を作るのに係るコストも20分の1です。潤滑油の使用量も20分の1。切削屑も出ず、それはそれは環境にも優しい機械です。
業界では大変な話題になり、注文が殺到しました。しかし、どうやら怪しい注文が多いのです。「直ぐにでも欲しい。いくらなのか直ぐに見積りを出せ」。こんな問い合わせで営業はてんてこ舞いです。社長は「どうせ、一台だけ買って、直ぐにバラしてコピーするのさ」。「だから、うんと高く出せ」。変な話ですが、断りたい値段を付けたいようです。しかし、どうしてもコピーしたい会社はどんなに高くても結局は買うのでしょうから、この作戦は効果的ではありません。
皆で考えました。「売るから、買ってコピーする」。「それなら、値段を付けないで使ってもらおう」。
なんか、禅問答のようですが、そう決めたのでした。途端に、注文が来なくなりました。それはそうです。営業が「売りません」と言うのですから、買いたい人は文字通り、ハトが豆鉄砲を食らったような感じでしょう。
ビジネスが止まった訳ではありません。逆に、本当にこの機械の凄さを理解する会社は、何としても使いたいのでしょう、「どうしたら使わせてもらえるのか」というお問い合わせをしてきます。20分の1のコストで高精度の製品が出来るのですから、当り前です。そして、結果、コピーをするような不埒な会社は見事に排除できたのです。
使用料や、製品の生産高に応じて課金するロイヤルティー式の課金システムが受け入れられたのです。
この事件(?)で、あることを学びました。値段が付かないと、本質だけが抽出されるという事実です。
優れた機械を買って真似しようとした会社は、機械の値段が高ければ高いほど、コピーした機械を安く売るに決まっています。いかに儲けるか、その差が大きければ大きいほどいいからです。しかし、この機械を使用して良い製品を作りたい会社、言い換えればモノ作りの本質を追求している会社は、作った製品で勝負しようとしているのです。
本質は製品の競争力です。他人の知恵の結晶である高性能な機械を模倣コピーして、安直にモノを作ろうなんて輩は、泥棒と変わりません。
よく考えると、同じようなことがありました。高級料亭やフランス料理がそうです。ある程度の値ごろ感は分かっていますが、客は値段で食べているのではありません。自分の舌を信じて、美味しいものをいただく満足感が欲しいのです。また、高級ブティックで買う洋服もそうですし、一流の旅館もホテルも、常連客が求めるものは満足感です。
満足感とは、自分自身の判断基準が確立していることでもあります。もっと言えば、自己が確立しているから出来ることです。
他人の真似をするような、会社ぐるみの泥棒どもを排除するには、値段を付けないのが一番です。