【Vol.129】教科書のない勉強

 ビジネス・プロデューサー養成講座もすでに8年目になりました。受講生、つまり私と一緒に勉強した人は、もう既に400人を超えています。
 知財を軸にした経営について、具体的なテーマを見出し、グループ割りした仲間同士でビジネスモデルを検討して行く、この実践型企画講座は、お陰様で好評のです。異業種の参加者が、会社の立場を離れ、本音の議論を重ねて創って行く過程に、会社組織では到底味わえない、それこそ「同じ釜の飯」的同士の桜(ちょっと古いか)がネットワークされるのです。

 このビジネス・プロデューサー養成講座は、一見、いつも同じような進め方と思われるかもしれませんが、進行役から言わせていただければ、中身は全部違い、同じテーマはありません。不思議なもので、文字通り「十人十色」いや「千人千色」ということでしょう。
 さて、お手伝いしながら、一番勉強している、いや、させていただいているのは私達なのですが、今回は少し違った面で勉強になりました。それは、教科書がないと発想できないという人の話です。

 この講座は、様々なシーズをニーズとマッチングしてビジネスモデルに仕立てて行くのが面白く、いつも違う結果になるのが特徴です。座学だけではなく、自発的にアイデアを出していく、実践的な事業創造講座とも言えるものです。
その講座の話をしていたら、何と、「で、その講座ではアイデアを考えるための教科書はあるのですか?」という質問があったのです。最初、私はその質問の意味が理解できず、講座の進め方について説明したのですが、そうではなく、アイデアを創出するためのテキストはないのかということを、質問しているようなんです。
 それは、私が初めて聞いた質問でした。「アイデアとは、どのようなテキストによって効率よく作られるのか…」、凄い質問です。だって、アイデアはヒラメキという極めて個性的な創出行動です。それを、「教科書」に依存するということ自体、私には理解できません。

 多分、学生時代その方は優等生だったのでしょう。そして、きっと、ずっと教科書を丸暗記的におぼえることに、一生懸命だったのでしょう。逆に、もしも教科書がなかったら、その方はどうなっているのでしょうか…。
 教科書とは、誰かが書いた、可もなければ不可もない、標準的な基礎知識です。その教科書がなければ発想できないということは、逆に言えば、何ら新しい発想が出来ないと宣言しているようなもです。この講座にこの方が参加されたら、一体、どんな感じになるのでしょうか。

 さて、ちょっと考えたことがあります。
 それは、いま日本が弱くなっている理由の一つは、このような人が増えているからではないかということです。
別に、教育問題をどうのこうのという訳ではありませんが、そんな丸暗記型の「優等生」が増え続けていることに、何とも言えない不安なものを感じます。創造性が失われて、それで国が弱くなって行くなんてことがあってはいけません。万事万端に対応する創造力を養うための実践の場こそ、今、一番必要なことではないでしょうか。
 教科書のない勉強を、もっともっとしなければなりません。

 あっ、だからと言って、私が教科書を見なかったのを正当化しているのではありませんよ。
 念のため…。