「大は小を兼ねる」。買い物をする時や、何かを選ぶ時によく使います。ご承知のように、大きい物は小さい物の代わりとしても使えるという意味で、小さい物より大きい物のほうが使い道が広く、役に立つというたとえです。
最近、このたとえ話に関連する、とても興味深いお話を聞くことがありました。それは、大は小を兼ねない、というお話です。このお話、結構奥が深く、しかも、これからの世界を変えるくらい、新しいパラダイムではないかと思うのです。
お話の最初は、アメリカの自動車メーカー、いわゆるビッグスリーの先行きがどうなるのだろうか、ここから始まりました。話題の中で、ビッグスリーの不振は、単にサブプライムローンの問題だけではなく、ピックアップトラックや、大型乗用車偏重のクルマ造りに問題があったのではないか、そう私が申し上げたとき、「それもそうだが、それより、小さな車を造る技術が無いことが問題だ」と、ある方が言われたのです。
日本の自動車メーカーで役員をされた方のお話ですから、間違いはありません。確かに、大型車ばかり造ってきたビッグスリー、小型車が無い訳ではありませんが、欧州車や日本車に比べると冴えません。この方のお話、聞けば聞くほど納得です。
「衝突安全をどう担保するか、それを考えれば分かること」。つまり大型車は、衝突安全を考慮する為の設計は比較的楽に出来るが、小型車は小さいだけに、例えば、衝突したときにつぶれる緩衝スペースをどう確保するか、軽量化と両立するにはどのような構造にするか、材料は何を採用するか等、要は、小型車の製造技術の方が、大型車とは比較にならないほどハードルが高いということです。
「なるほど」、納得したのは私だけではありません。そこに居た、殆どの人はこのお話には大納得でした。そして、私はフッと思いつくことがありました。
それは、クルマの世界は大型車、小型車、国の場合は大国、小国、会社なら大企業、中小企業(零細も)、そう呼ぶのはご承知の通りですが、フッと思いついたのは、そういう場合に、どうも「大は小を兼ねる」的な意味が含まれているのではないかということです。
古くは冷戦時代、大国は小国を経済支援して、結果、大国が小国を系列下に置いて政治的に支配したいという、大国のエゴイズム丸出しの歴史もありました。企業も同じで、規模の拡大を第一義とする大企業は、中小企業を系列化して、名実ともに支配することで、売り上げと利益の増大を目指しました。悪いことではありませんが、そこに、大は小を兼ねる、或いは、大が小を支配することは良いことだ、そう信じていたに違いありません。
さて、今回のビッグスリーの凋落、大国の勃興と似ている話ではないでしょうか。北の大国が、(原油で儲かって)経済的な優位性を振りかざし、小国や分離独立を求める地域に対して政治的な支配力を拡大しようとする構図も、圧倒的な軍事力を背景に、世界中をドルで支配したいあの大国のしていること、更には、統制だらけのオリンピックが大成功だと言う、お隣の大国、どうしてもビッグスリーとダブって見えてしまうのです。チカラ任せの、大国の覇権争い。実は、大は小を兼ねないし、そこに無理がある。今、それが証明されようとしているのではないのでしょうか。
そう考えると、小さな国土しか持たない我がニッポン。クルマ造りも、小型車で勝ち抜いてきたことを忘れてはいけません。ですから、政治も経済も、そして私たちの生活も、これからも小型で行くのは必然です。山椒は小粒でもぴりりと辛い。柔よく剛を制す。ちゃんと先輩も言っているじゃありませんか。
そう言えば、近頃、私の背も縮み始めましたし、他にも、どことは言えませんが、あちこち縮み始めたのです。
何か、それと関係があるのでしょうかね。ははは。